現代日本のイロニー(橋川文三『日本浪漫派批判序説』)


 橋川文三『日本浪漫派批判序説』を読む。日本浪漫派とは、第二次世界大戦期の日本で流行った思想。閉塞した状況を扇動的な美的言辞でくるんでしまうような思想で、多くの文学青年が日本浪漫派の、というより領袖の「保田与重郎」の言葉を胸に、死地に赴いたのだという。橋川もその一人で、戦後、世間の日本浪漫派観が「騙された」反動としての痛罵や嘲笑に終始する中、「なぜ魅力的だったのか」を考えようとした書物。

 面白いのが、戦前の扇動的言説というとイケイケの特攻精神を想像しがちだが、そうしたものではないこと。むしろ、軍国主義に傾く世相のなか、政治的に無力な文学者が、徹底的に美学的に思考停止したものだ。保田の評論の引用で一番印象的なのが、以下の一節だ。

「日本の新しい精神の混沌と未完の状態や、破壊と建設を同時的に確保した日本のイロニイ、さらに進んではイロニイとしての日本といったものへのリアリズムが、日本浪漫派の基盤となった」
(保田「我が国における浪漫主義の概観」)


 一見何を言っているのかさっぱり分からないが、ここにあるのはすさまじい居直りだ。イロニーというのはよく言えば現状の自分を俯瞰する態度のことを指す。人生において必要な心構えではあるのだが、それは往々にして、自己の状況の棚上げにつながる。有名なイロニーの規定として「イロニイの中には、あらゆる無限定の可能性を留保しようとする衝動がある」(カール・シュミット)というのが紹介されていて、なるほどと思ったのだが、上記の言葉はもろそれだ。軍部が大陸に戦線を開き独走する状況で、それに対し何の発言権もない自身を棚上げし、危険な状況にある日本を「未だ完成せざる日本」として美学的に礼賛する。その一方、「日本主義者」から「世界史の哲学」に至るまで、日本の明るい未来を(西洋的に)具体的な言葉で語る者たちを軽蔑していたという。

 また、日本浪漫派、ひいては戦中の青年たちの感覚を浮き彫りにするのが、ナチズムとの対比だ。ナチズムのニヒリスティックなメッセージ(「私たちは闘わねばならぬ!」)に対し、日本浪漫派から橋川が受け取ったメッセージは「私たちは死なねばならぬ!」だったという。橋川は『きけ、わだつみのこえ』の一節「私は、私の肉体をうまく敵にぶち当てる様に、夢中になって射角表をこしらえた」を引いて、「近代の日本において、「死」をカリキュラムとして与えられた世代は他になかった」としている。何と言うべきか・・・。


 この本を読んで、ふと現在の日本の状況を考えた。当時の日本浪漫派のイロニーは、軍部の専横に対する無力の昇華だった。あくまで、国内に「元凶」がいた。今は、国際構造的に無力?だ。右の人々がよく言う「アメリカに去勢されている」状態。救いがたいのは、だから再軍備といくともっと悪い状態になる気がすることだろう。本気で北朝鮮と戦争でも始めそうで、自国の政治家にそうしたことを任せる気にならない。世論もそういう考えのようで、憲法はなかなか改正されない。冷戦が崩壊した90年代以降、ますます言い訳が効かなくなったせいか、日本の文学もマンガもどんどん内向している。内容だけじゃなくて、何が書かれようが「現実にはまったく影響しない」と誰もが思っているという点でも(性や短絡的な暴力は除いてだが)。この状況は、政治的に言えば、イロニーの完成ではないだろうか。戦争よりはずっとましだとは思うが。


 ちなみに、保田に先立ちすでに書かれていた、浪漫主義に対する根本的批判も紹介されていた。明治時代、石川啄木の手になるものだ。以下に引用する。

「(中略)時として散歩にでも出かける事がある。然し、心はどこかへ行きたくっても、何処という行くべき的が無い。世界の何処かには何か非常な事がありそうで、そしてそれと自分とは何時まで経っても関係が無さそうに思われる。・・・・・・まるで、自分で自分の生命を持余しているようなものだ。

 何か面白いことは無いか!
 それは全ての人間の心に流れている深い浪漫主義の嘆声だ。」
石川啄木『硝子窓』)


 無限定の可能性を夢見て、刺激を求める。同時に、そうしたものが、現実の自分には訪れないことも知っている。明治末期のまどろみの中の言葉にしてはやたらと耳が痛いのは何故だ。ライトノベルの導入部みたいだな、とも思った。それこそ、ラノベが浪漫主義的心情の所産である証なのだろうけど。

 ただ、日本浪漫派のために言えば、「非常なこと」が起こってしまった状況で、何の決定権も無く、偽りの高みから「面白し」と言う他無いという彼らの状況は悲惨すぎる。


 保田は戦後も戦前と考えを変えずにいたという。彼がラノベを読んだらどう思うかなと考えた。


 僕は著作集の第一巻に収録されているものを読んだのだが、『日本浪漫派批判序説』は講談社文芸文庫に収録されている。大戦時の思想研究ではメルクマーク的な存在の評論のはず。


日本浪曼派批判序説 (講談社文芸文庫)

日本浪曼派批判序説 (講談社文芸文庫)