田中秀臣『経済政策を歴史に学ぶ』(ソフトバンク新書)


2006年10月8日追記:[宿題]認定。これは当分取れないような気がしている。


いささか流し読み気味ながら、読了。残念ながら、この本を本当に理解する能力は今の俺にはない。ただ、放っておいてまた一歩目に戻るのは口惜しいので、覚書を残しておく。


個人的回想。大学時代文化史研究室に属し、石橋湛山小日本国論についても学んだが、歴史学側からの評価は戦前の大日本主義膨張主義へのアンチテーゼとしての評価が主で、エコノミストとしてのアクチュアルな再評価には至っていなかったように思う。この人物の再評価が経済学の側からなされたことには素直に頭を垂れるが、忸怩たるものを覚えもする。


本書で語られるインフレ期待の意義にはある程度納得できた。でも、分かりにくい。その分かりにくさはどこから来るのだろう。


構造改革のように、「あそこが悪いから変えよう」「市場による淘汰を待とう」という話は、変更点や悪玉が明確だから非常に分かりやすい。結果を問わなければ、だが。その意味で、やりたかったこと(余計なこと)を結局やらなかったことが消極的な景気対策となった、という本書の小泉内閣評価は皮肉だ。


よく言われる、大規模の財政赤字で国家財政破綻、という日本沈没シナリオ。だいぶ前から恐怖の未来像として語られているアレ。構造改革がらみの議論でも、「そうならないために、支出を減らそう。不採算部門を切捨てよう」とかいう話がよくあり、非常に分かりやすい。現時点での話しかないから、単純なのだ。こういうのは、財政政策の枠内の話、になるんだろう。


それに対してこの本では、財政赤字、というより、貨幣価値というのは、相対的なものだという捕らえ方が基本のようだ。だから、巨額の財政赤字云々と、いたずらに恐怖心をあおったりはしない。かといって、時々誤解される(インタゲについて聞かれて素人説明してみたとき、そう誤解された)借金軽減のためにインフレ気味にしましょう→ハイパーインフレになるんじゃないの、というようなアホで強引な話でもない。そういう豪腕コントロールな方向を否定するところから始まってもいる。そのキーワードが「期待」ということだと思う。強引にインフレにするのではなく、あくまで「インフレ期待」を形成することで、自発的に市場をインフレ方向に誘導し、かつそれを一定の水準にとどめる。


僕の理解では、「マイルドインフレになる、つまりお金の価値が緩やかに目減りしていくので、お金を使っても損しない状況になる、という期待を作り出して、世の中にお金を回らせることが必要」という話か。逆にデフレの継続は、「品物が安いからいいじゃない」というように見えるものの、皆が「お金は貯めておくほど価値が上がる(モノがより安く買えるので)から、なるべくお金を溜め込んでおこう」という逆向きの期待を作り出してしまい、世の中に金が回らず雇用がなくなり、賃金も落ち、失業者も増える。実にろくでもないです、という話になる。


このインフレターゲット、諸外国でも実績があり、なぜやらないの?というくらい有効性のある金融政策らしい。一般読書層にも、山形浩生によるクルーグマン翻訳でだいぶ前から紹介されている。僕はその頃からのインタゲ論の読者である。『クルーグマン教授の経済入門』は単行本を1999年の第五版で持っている。今に至るまで大して分かっていないということで、何の自慢にもならん。それでも有効そうだ、なにもやらないよりはずっといい、ということくらいは分かるので、読めば読むほど、それこそ「なぜやらないの?」なのだが、日本ではなかなか積極的に実行されない。


その原因は、既得権益側による妨害とかいう話もあるんだろうけど、やはり分かりにくいからだと思う。ようは日本は、7年あってもインタゲ論を理解しきれない僕のようなアホに塗れているのだ。日本の将来のためにも、より啓蒙が必要だ。30歳以上のアホは要りませんなんて言わないでくれ。サンダルバッヂ『夕暮れ族』の「10年先を思えば 当然僕等は要らない」というフレーズが身にしみます。どうしてサンダルバッヂのようないいバンドがメジャー契約をアルバム2枚で切られてしまうのか理解できない。これも不況が悪いのだ。とりあえず分かりにくいことを二つ上げておく。


一つは、先に書いた金銭の価値が相対的だという把握。構造改革論の、「今は赤字なんだ!何とかしなくちゃならないんだ!無駄遣いをやめなきゃいけないんだ!」と言われれば、そうだね、といいたくなる。無駄遣いしてるのが他人ならなおさらだ。必要性のよく分からん政治家の天下り先は潰せ、無駄な工事はよせ。しつこいようだが、こういう話は本当に分かりやすい。でも、この本や他のインタゲ論が言ってるのは、こういうことをやっても景気対策にはあまりなっていない、というより、他にもっとやらなきゃいけないことがある、という話。だが、それが「インフレ期待の形成」。これがどうにも分かりづらい。インフレになるのなら、それはお金使いたくなるよね、というのは分かるのだが、それが恒常的に続く、という状況がなじめないのではないか、という気がする。そんなアホは俺だけかも知れないが、案外、自分の持っている金の価値が一定だ、という信頼は社会に根強いように思える。インフレ率2%というのは、100円のチロルチョコが次の年に102円になるということで、100円で買えたチロルチョコが買えなくなる。貯金にせよ借金にせよ、軽くなる。だから、借金はしやすくなるし、貯金を抱え込んでおくより投資(単なる散財にあらず)したほうがいい。分かりやすいなあ。アレ?いや、それは、自分が投資家である場合だ。一般人は、基本的に貯蓄するか散財するかの・・・。いや、家を買ったりするのは一種の投資だよな。買おうなんて思ってないし金もないから、本当のところは分からないが。今の内に借金して家を買っても、インフレ期待があれば実質的な借金は安く済むかも、という。でも、貸し手側もアホではないから、その辺は計算に入れて儲かるようにローンを組ませるのではないだろうか。それならあえて今家を買うメリットは・・・。ようは「インフレ期待」があるから金を使おう、というロジックは成り立つのだろうか、という疑問なのだが・・・。個人のレベルでは逡巡が働いたとしても、少なくとも「金を動かさないことが得だ」という状況を崩すことが先決だ、ということだろうか。たしかに、金を持っている奴が遣うような状況を作ることで、雇用も増えるんだろうしなあ。


何が分からなかったのかよく分からなくなったので、とりあえずもう一つを。今はデフレ期待状態だという話だ。実際デフレなのは議論の余地がないし、なるほどとは思うのだが、「不景気で金利が低いから、銀行に預けても利子がつかないね」というよく聞く庶民感覚との乖離が気になるのだ。どうも、言われてる「金を溜め込んでいる存在」が意識できないのだ。「投資家」とかだろうか。設備投資を控え気味な法人だろうか。どうも、一つ目と同じ話だという気がしてきた。自分を含めて、このあたりの考え方、リテラシーを身につけさせないと、リフレーション、インタゲ論は国民の理解を得られないんじゃないか、という危惧を感じている。


このあたりを分からせないと、決してインタゲ論は国民に広まらない。この部分を徹底的に啓蒙する必要があるとおもう。この本でもまだ足りない気がする。それとも俺だけなのかわかってないのは。プロレタリアートの嫉妬なのか。


あと、期待していた大戦間期についての記述が少なかった。そっちは同じ著者の別の本があるようなので、今度はそっちを読もうかな、と。


経済政策を歴史に学ぶ [ソフトバンク新書]

経済政策を歴史に学ぶ [ソフトバンク新書]