久保聡美『サリシオン』


上のメールをきっかけに、久しぶりに読み直す。10年ほど前に『Gファンタジー』に連載されていた、エニックスまんが雑誌黄金時代の作品の一つ。とはいえ、全6巻で、最後はどこか唐突で、打ち切りかと思わされたくらい*1。今も昔も好きな漫画なのだが、さすがに10年経つと、粗がよりはっきり見えてくる。そして、いまさらながら、もったいないと思う。


主人公はサリシオン・カレル。16歳の少年であり、幼少時に両親を盗賊団に虐殺され、敵討ちのために生きている。
彼は神話的存在『悪しき竜』の子孫とされているドラゴール人という種族なのだが、この種族は現在、悪しき竜の力を最も強く受け継ぐ『ザーザンド』なる男による内乱の最中である。内乱ではあるが、より正確には、ザーザントは自分同様に悪しき竜の血を色濃く受け継ぐドラゴールの王女ジネヴラ姫を同胞として欲しただけであり、その他の有象無象は力の差がありすぎるので意に介していない。しかしながら、自分を脅かす力を持つだけの悪しき竜の血の濃い存在『竜の戦士』と、血の力を具現化する剣『エクヴェドラ』だけは気にしている。ヒロイン的存在であるカーラ・リシュカは姫の奪回を意図する王宮騎士であり、エクヴェドラと『竜の戦士』を探している。そして、サリシオンこそは『竜の戦士』であり、エクヴェドラは親の形見である。


物語はサリシオン、カーラ、ザーザントの関係の元に進む。まあ、主人公、ヒロイン、魔王の、王道ファンタジーではある。しかし幸か不幸か、『サリシオン』の登場人物の造形はバトル中心のヒロイック・ファンタジーのお約束に従わない点が多々あり、それが特色であり美点であり、それがために俺のような一部の読者には隠れた名作として強い印象を残しつつ、それを生かしきれずに短期で終了してしまった恨みを強く残している。


まずサリシオン・カレル。彼は伝説の力を持つくせに、戦士としては弱い。技量も拙いが、敵であっても切ること、殺すことを潔しとしない優しさの持ち主であるためもある。下級の食用モンスターを倒して食堂に売る程度の技量はあるのだが。おまけに、魔導師であるザーザンドのように悪しき竜の血を魔法として直接発揮できないので、媒介であるエクヴェドラがなければいよいよ役立たずである。そのくせ戦意だけは旺盛なので、しょっちゅう単独行動で無茶をしたり敵に捕まったりしてカーラたち味方を無用の危機に陥れる。彼が『竜の戦士』として鳴り物入りで王城に登場するも、剣技のつたなさに周囲の失望を買い、プレッシャーに悩む姿は萌えである。こう書くと昨今のラブコメにありがちな、ひたすら優しく気弱な男の子を想像しがちだが、彼は真摯でかつ心根は優しいが、朴訥としていて無愛想である。そこがかえってショタ魂をくすぐる可愛さを持ってもいるのだろうが、少なくとも萌えのための萌えではない。カーラと出会って淡い思慕を抱き、敵討ちを中断して彼女の手助けをすることに。


次にカーラ・リシュカ。サリシオンよりも年長の、19歳の王宮騎士である。流れるような銀髪と白い肌で、痩身を騎士の装束で包む姿が非常に美しい。『サリシオン』の魅力は久保聡美の画力によるところも大きい。荒れることも多いがツボにはまると強い磁力を放つその画風は、絵柄そのものの類似性はないものの、かの冨樫義博を彷彿とさせる。近年は休載癖まで似てしまったようで救われないが。
掘り下げられることはなかったが、悪しき竜のような邪悪な存在とは対極に位置する聖性を持つことが仄めかされている。そのせいか、拾われ子である。自らの邪悪な血と闘う人々の集まりであるドラゴール、特に王城は、容姿にも現れたその聖性のためか、シリアスなストーリーの中にもさながらカーラ様ファンクラブの様相を呈している。それが彼女を孤独にもし、最初の友人となったジネヴラ姫へのいきすぎた献身に繋がっているのだが。

外見以上にカーラを特徴付けるのが、その微妙な性格である。険のない凛々しさ、とでも言おうか。剣技において無類の強さを誇るのに、人柄は柔和である。騎士ゆえなのか、生硬なものではあるが。また、自己の生命を極端に軽視する傾向がある。ジネヴラ姫を救うためどころか、序盤でたいして親しくもないサリシオンを助けるためにすら、自己の命を犠牲にしようとした。
その反面、姫のこととなると周りが見えなくなる。サリシオンを王城に連れてきておきながら、育ての親でもある魔導師長がサリシオンを「竜の血が濃いせいか、姫様に似ている」と評したところ、「似ていません!」と全否定。さらに「姫はもっと・・・」と姫のよさを言い募ろうとした。
こう書くと単なる嫌な女のようだが、サリシオンの好意を自身の目的のために利用していることを強く悩んでいる。それでも利用するからこそ、嫌な女なのではないか、という話ではあるが、その悩める姿がまたひたすらに美しい。疑う向きは単行本5巻29ページを見ましょう。


そして、そのカーラを慕うサリシオンの姿がなかなかに愛らしい。印象的なシーンが、ドラゴール王城で「剣技がダメでも魔力なら」と周りが魔力の性質検査をしてくれようとする下り。実はその前日、魔導師長と友人たちの前では、悪しき竜の伝説を描いた壁画に感応する形で、その規格外の魔力を証明しており、友人がそのことを思い出させようとするのだが、サリシオンは壁画のワルキューレから、カーラのことを連想してしまう。

昨日からカーラに会っていない・・・
剣を教えてくれるって言ったのに まだ一度も教えてくれていない
ここに連れてくるだけ連れてきて 後はほったらかしじゃないか・・・
(『サリシオン』3巻、p164〜165)


サリシオンを上記のような造形にした時点で、少年漫画やヒロイック・ファンタジーの爽快感は望めない。あとは、サリシオンの内面的成長と、ヒロイン他との関係性を深く描いていくしかなかったはずだ。
サリシオンの成長は、エクヴェドラとの関係を象徴として、比較的よく描かれている。サリシオンがエクヴェドラの使い方に気付く過程が、成長物語としての『サリシオン』の骨子となっている。
エクヴェドラはどこに保管されていようと、使い手であるサリシオンの意思に感応して姿を見せ、力を発揮するが、序盤ではあくまで無意識だった。中盤のサリシオンは周囲の期待と失望に晒される中で、エクヴェドラなしでも竜の戦士であろうと努力を始めるが、果たせない。カーラは苦しむサリシオンを案じ、「せめて、自分たちの事はついででよいから、自分の信じるもののために剣を振るって」とサリシオンを諭すが、サリシオンは考えた末、「カーラの気持ちのために剣を振るう」と返し、カーラをさらに苦しめてしまう。結局、エクヴェドラ抜きでの自分の無力に耐え切れず、ザーザンドに奪われる危険のため持ってこなかったエクヴェドラに必死で呼びかけるという本末転倒の行いに出るが、現れない。ついには、自ら取りに行こうと王城から逃亡したりする。
結局翻意して城に戻るのだが、未だ無力な彼の前に現れるのが、ザーザンドの手下に零落した盗賊団首領にしてサリシオンの両親の仇であるバリザガ。演出的にはザーザンドを完全に食っている首領の強さと悪役ぶりが炸裂する4巻と5巻は、凄惨な両親虐殺シーンの回想と、カーラの危機とサリシオンの成長もあって、最高の盛り上がりを見せる。
バリザガに挑みかかろうとするサリシオンだが、無謀な彼を守ろうとした周りの者がバリザガの猛攻の前に次々と倒れる中、親の敵討ち、王城の人々に自分の力を見せるためなど、己のことばかりで動いていた愚を悟り始めるが、それでも目前の脅威に対抗する力を持たない彼自身も、バリザガにボロボロにされ、自分の無力を再確認する。友人の魔導師ミイユが助けに入り、バリザガを追い詰めるも、反撃を受けて橋から落下。助けようと必死で手を伸ばすサリシオンの前に、ようやくエクヴェドラが現れる。無関係なのにもかかわらず、危機にある者のために戦うミイユの姿に感銘を受けたサリシオンが、皆を救いたい一心で必死に振るった無数の斬撃は、バリザガに多大なダメージを与える。しかし、親の仇に止めを刺せると勇んだサリシオンが振った最後の一撃に、エクヴェドラの力は宿らなかった。エクヴェドラはバリザガに奪われる。ようやくサリシオン捜索から戻ったカーラもバリザガの前に屈し、バリザガはエクヴェドラでカーラを刺す。サリシオンはカーラに駆け寄ろうとするが、深手を負ったカーラ自身がサリシオンを危険に近づけまいと、バリザガと自分の周りに結界を張る始末。自分の無力を憎み、「カーラの役に立ちたいんだ!」というサリシオンの必死の呼びかけにも、無反応のエクヴェドラ。
バリザガが瀕死のカーラの首にエクヴェドラを向けたときのサリシオンの叫びと、彼の能動的な意思に初めてエクヴェドラが答えるシーンは、駆け足気味ながら描いてきたサリシオンの成長の表現であり、間違いなく本作品のハイライトだ。


それだけに、サリシオンの成長に反して、カーラが『勇者の救いを待つお姫様』的な地位に転落してしまったのが残念だ。何もラブロマンスを展開するべきだった、と言いたいのではない。たとえば、結果的にとはいえサリシオンを利用している彼女に、その醜さを突きつける場面、ジネヴラ姫とサリシオンとの選択を迫るような場面がもっと欲しかった。サリシオンと共に、カーラの成長を描くような話になっていれば、より盛り上り、完成度も上がったのではないかと思われる*2


それならば敵役との闘争で盛り上がりたいところだが、そのザーザンドは叛逆者でも殺戮者でもなく、異能のため恐れられてきた自らと同格の、魂の同胞を得て、孤独から脱したかっただけ。ここでも、勧善懲悪を排する狙いは理解できるのだが、それが生かされたかというと疑問が残るという結果だ。終盤では同胞を得るためなら手段を選ばぬ冷酷さと残虐性が強調されるが、これはおそらくプロット単純化の弊害だろう。彼の寂しすぎる最期は、なまじ動機を描いただけに、後味が悪かった。『第一部完』チックなラストシーンは、もう触れずにおく。


ただそれでも、今日のように、時々カーラ様とサリシオンに会いたくなるのだった。


上に書いたようにしておけば、とまではいえないが、この作品は構成次第では、それこそ『聖戦記エルナサーガ』と並ぶ、当時の『Gファンタジー』を象徴する名作になった可能性もあると思っている。ちなみに、『聖戦記エルナサーガ』は、当時のGファンタジー作品でおそらく唯一復刻版が出ている漫画であり、それにふさわしい構成と完成度を唯一持っている。逆に言えば他の漫画は、単体での完成度を、特にストーリーの構成力を欠いていた。『サリシオン』に限らず、それなりの人気を持っていたと思われるのに、どこか唐突な終わりを迎える作品のなんと多かったことか。雑誌としてはとても充実していたので、当時から首をひねっていたものだった。一話単位での熱量があれば、雑誌としては充実させられる、ということなんだろうか。これは一方的な言い方かもしれないが、編集サイドのプロデュース不足だろう。


以下が最終巻だが、画像が無い。


サリシオン (6)

サリシオン (6)


せっかくなので、オークションに出ているカーラ・リシュカのカードへのリンクを張っておく。見返り美人なので分かりにくいが。

http://auction.woman.excite.co.jp/item/68400970

*1:最終6巻の作者あとがきを見る限り、狭い意味での打ち切りではないようだが、編集サイドの意図で不本意な単純化を施さざるを得なかった様子

*2:なお、作者が『サリシオン』完結から程なくして発表した『陽炎ノスタルジア』は、サリシオン&カーラと性格がほぼ一致する主人公二人が中心の物語となっており、作者自身も新しい世界で二人の魂をもう一度描きたかったことが推察される。が、一人が外見までがほぼサリとコンパチの少年であるのに対して、もう一人も少年なのだった。面白いし絵も美麗だったのだが、あまりにホモセクシュアルな世界観にのめりこめなかった。現在は絶賛休載中とか・・・