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社会の構成員が皆高能率労働者になったら、という話。
大多数が高給取りになれる豊かな社会の作り方
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20061231/1167563326
いい社会だよな、これ。その社会の到来に受けてがんばりたい。
単純労働の提供と享受を恥とする倫理が形成されているってのが面白いな。
前提なのか帰結なのか。
この記事に対するミスリーディングな、というより、つまんない読み方するなあ、という批判も発見。
「大多数が高給取りになれ」るんなら、そりゃあいいよねw
http://d.hatena.ne.jp/albinoalbinism/20070101/1167592187
しかし、このシナリオは全て、「労働者の過半数がそのような高能率労働者になれれば」という前提に依存している。
のというのがまず違う。なれれば、というのではなく、高能率労働しか仕事がない社会だろう。
そんなことより、「労働者の過半数がそのような高能率労働者に」なっちゃったら「高能率労働者」自体が余ってくることのほうが心配だ。
なので、失業はあり得るとしても、「高能率労働者だから余る」ことはあり得ない。輸出することもできる、というだけの話なのでは。最高。
200年前のラッダイト運動当時のハナシをオフィスに移しただけの、技術が単純労働を自動化していくから付加価値を創造できないとヤヴァいですよという、これまた語られ尽くした新鮮味のない内容だ。
そうかな。少なくとも、200年前どころか、堺屋云々の20年前よりも、個人が生産性を上げるための知識もツールも増えていると思うが。
ようは、単純労働者の側に立って(?)、いつの時代にも言われてきたことだから、焦ることないですよ、と言いたいのだろうか。
しかし、レジ打ちなんぞで安い給料で時間を売ることをよしとすることに比べたら、希望のある話だと思うのだが。