エドウィン・バレロ


 全く、素晴らしい。三人のサウスポー世界チャンピオン、二人のサウスポー日本チャンピオンを擁する帝拳ジム。そのうち、下田昭文が訃報に接して『今まで見たボクサーの中で一番強かった』という言葉を贈り、粟生隆寛が、『今目指している理想のスタイル』と言い切る。帝拳ジムの隆盛について、ボクサー本人たち以外に功労者を捜すとしたら、田中繊大トレーナーか、この男、エドウィン・バレロだ。帝拳サウスポーたちのボディストレートにはバレロがいる。


 デビュー以後18連続1RKOの世界記録(当時)を作り、27戦全勝全KO。現役世界王者のまま、アルコール中毒による妄想で夫人を殺害し、獄中自殺でキャリアを終えたこの男が、二つ目のベルトを勝ち取った試合。



 相手のアントニオ・ピタルアは、当時46勝40KO4敗、KO率8割の右構え。しかも14連続KO勝利中と、こちらも名うてのハードパンチャー。観るもの全てがKO決着を期待する試合だった。

 ゴング。バレロは、前後にステップを刻みながら、速く軽めの右ジャブで試合を作る。ピタルアも歴戦の強者、ジャブの刺し合いに応じてみせ、ステップとウィービングでバレロのジャブを外しざま、ボディにジャブを散らし、ただの吶喊ファイターではないところをみせる。予想外ながら、強者同士の世界戦にふさわしい緊張感のあるジャブの刺し合いだ。

 しかしそれもたった15秒の間だった。バレロ如実にジャブの威力を強め、圧力をかけていく。徐々に下がらされるピタルア。さらに開始25秒で、ピタルアのジャブの引きに合わせてバレロが左ストレートを打ち込みにいく。当たらなかったが、ピタルアは明らかに威圧された。そこにすぐさま踏み込んで、左脇腹に右ストレートをヒット。オープニングヒットはバレロだ。

 バレロはここでいったん仕切り直し、ボクシングに戻る。しかしバレロの優位は明らか。それが現れているのが踏み込みだ。サウスポーとオーソドックスの戦いは、前足の位置を争うという。相手の前足の外側を獲った方が、強いパンチを打ち込む距離をモノにできる、と。バレロがパンチを打ちにいくときの前足が、完全にピタルアの前足の外側を制圧している。それだけではなく、大きく踏み越えてもいる。自然と、パンチの威力も強くなる。
 
 ピタルアとしても押されているのは分かっている。迎え撃ち押し返したいはず。しかしバレロの攻撃に腰が引けているのか、9年越し2度目の世界タイトル挑戦の初回を大事に行きたいのか、どうしても受け身に立ってしまう。


 開始45秒、顔面へのジャブ二発でピタルアを下がらせたバレロの右ボディストレートが、またピタルアの脇腹を襲う。それでも行けないピタルア。ここを逃さないのがバレロだ。大きく踏み込んでやっと右が当たるくらい遠い距離でやっていたはずなのに、すぐさま距離を詰める。開始50秒、ついに左のボディストレートをピタルアの鳩尾にめり込ませる。体をクの字にして下がるピタルアをコーナーに追いつめ、一気のラッシュ。


 ピタルアはこの危機は逃れるが、このたった1分で、両者の格付けは決まってしまった。


 試合結果は、バレロが2R、最初の1分で3度倒してのTKO勝ち。


 インターバルで『俺たちは出来るんだ、やるんだよ!』というセコンドの声に押されたピタルア。1Rの失地を挽回せんとしてか、バレロの攻撃に対し、足を踏ん張って打ち込みにきた。そのまさに1発目の右に合わせて、バレロがバックステップしながら右フック一閃。顎を打ち抜かれたピタルアがダウン。


 KO負けがキャリア初期のたった1戦しかないタフなピタルアの平衡感覚を一瞬で奪い去った、この一つ目のダウンで勝負あり。ピタルアはなんとか立ち上がるもフラフラ、即ストップでもおかしくないダメージだ。バレロはすぐさまピタルアを再度地に這わせる。再度立ち上がるピタルアにも、なおも続行を指示するレフェリーにも驚かされる。バレロはもはや手も出ないピタルアに容赦なくパンチを集め、最後は3度倒れんとするピタルアをレフェリーが救う形でストップ。


 バレロが最初に奪ったダウンは、大して長いとは言えない私のボクシング観戦歴ながら、目を瞑っても自在に目に浮かぶ、今もって最高のワンパンチノックダウンだ。


 この男に対してだけは、安らかに眠ってほしい、と、信じてもいない死後の幸福を素直に願える。妄想の被害者となってしまった奥さんには申し訳ないと思いながら。


 彼の子供はどうしているだろう。


 そして弟ルイス・バレロ。兄を彷彿とさせる三戦連続1RKO勝ちの後、アンダードッグに1Rで倒される醜態を演じながら、続く二戦を1RKOで片付けている。まだ兄の後継者たる資格あり、なのだろうか。