小松選手の訃報に接して

すごく負けず嫌いで頑張り屋で、でも天然でなにをしててもかっこよくて本当に尊敬できる先輩です。
自分と名城くんと小松さんで食事をしたことがあり三人で遅くまでボクシングの話しで盛り上がりました。 今日お通やで人から、 早く長谷川や名城に追いつくんや、三人でベルト巻くんや。とずっと言っていたと聞きました。


長谷川チャンピオンのブログからの引用です。
生前から、一本気なファイトスタイルと戦歴そのままの人柄の素晴らしさを伺い知ることが多かった小松選手ですが、訃報を期に目にする記事もその印象を裏付けるものばかり。真正ジムの中出トレーナーのブログでも、紹介したペンションのバイトを遅刻やシフトを飛ばすことが一度も無く、同僚の方々にかわいがられていたと・・・。

私は生前の小松選手の熱心なファンであったとは言えません。
ボクシング観戦趣味の点火は、彼が国内フライ級四天王と呼ばれていた時期には少し遅れてしまいました。
観た試合はポンサクレック戦、内藤戦。それもテレビとyoutube。酷な言い方ですが、観る者に世界王者クラスと彼との差(特にディフェンス面)を見せつけるような試合でした。フットワークがあるようなのに、危険な殴り合いを厭わず、結果打ち負かされてしまった姿に、僭越ながらもったいないように感じたことを覚えています。

その後、国内ボクシングの情報を追いかける中で、ファンの人々の彼への強い思い入れ、人気を知っても、苦しい内容を通り越して耐久力の限界を伺わせる試合記事を目にする度に『引退するべきではないか』と思っていたのでした。

そんな私の思いが、日本ボクシング史でも屈指のチャンプ二人に慕われるよき先輩ボクサーが発する『早く長谷川や名城に追いつくんや、三人でベルト巻くんや』という、そうあるべき自分たちの姿だけを追う言葉の前には、あまりにも軽い。考えさせられてしまいました。

ボクシングには生の不条理が凝縮される一面がある。才能の有無。負け試合でのがんばり。命と試合。若い敵、強いままの旧敵と自身の衰え。等等々。
届きがたい目標にかじりつく、ただ無意味で危険なだけのはずの姿にも色々な形が。そこに打算や惰性だけを見てしまうなら、関心を失うかやめておけばいいのにと思えるだけまだよい。そこに犯しがたい真摯さとまだ消えていない可能性を見てしまったとき、あえてその価値を問うことができるか。

取るにたらない一観戦者にも、迷いの光が届く。改めて自分自身の仕事のことや、家族のことや、今までと今とこれからを考えてみたりもする。
ありがとうございました。

リング禍という最悪の可能性を常に思い、技巧に基づく攻防をこそ称える目を養い、危険には声を上げながら、これからもボクシングを観ていくのでしょうが。