新井輝『ROOM NO.1301 しょーとすとーりーず・つー』(富士見ミステリー文庫)

人気ライトノベルシリーズの短編集第二段。頭の悪そうな副題といい、ぷに度が更に上がった表紙イラスト(文章の下を参照)といい、30代独身男性の読むものではないかもしれない。そもそも「ぷに度」などという言葉を(略)。


このシリーズはライトノベルという、自由であるがゆえに定型化しやすくもあるジャンルにおいて、その微妙な変わり具合において異彩を放っている。物語は普通の小都会が舞台のジュブナイルだが、魔法や超能力の類は出てこない。かといって、学校生活がメインの学園ラブコメでもない。あるのは、少し不思議(By 藤子F先生)な設定だ。幽霊アパートと呼ばれる12階建てアパートに、普通の人では行くことの出来ない13階が存在し、そこにある部屋の鍵は、心に何らかの問題を抱えた少年少女だけが手にすることが出来る、というものだ。そしてこの物語は、13階に住むことを許された少年少女のお話だ。


今のところ13階の住人は5人。恋愛が出来ないモテ系高校生少年「健一」(主人公)、「子供の義務」としての司法試験合格を目指して自活する秀才高校生少年「刻也」、没入型で「普通の生活」が出来ない造形芸術家の19歳女性「綾」、セックスしないと眠れない高校生少女「冴子」、双子の姉に恋する性同一性障害かつ二重人格の内気な高校生少女で、アイドル好きの姉の気を引くために男装の路上ミュージシャン「シーナ」の人格を生み出す「日菜」。


このような人物たち(正確にはその一部)が、ライトノベルの枠を超えた性的関係を繰り広げるのも特色の一つだ。健一は13階の一室の鍵を拾ったその日に、行き倒れていた綾を拾い、13階の部屋まで送りそのまま襲われて童貞を奪われる。健一は家庭の事情もあって13階に居つくようになり、そのあと13階にやってきた不眠少女冴子と毎夜(略)。


このように書くと、エロゲーラノベ版かと思われるかも知れないが、その実この小説はあまりエロくない。直接的な描写が少ないのもあるが、この小説が扱う性交渉が、まず第一にコミュニケーションで、オカズになる類のそれではないからだろう。

この短編集には、綾さんが痴漢の被害に遭ったトラウマ(「痴漢」と聞いただけで嘔吐)克服のため、主人公に電車内での痴漢行為を依頼する話があり、めずらしくアレな描写が数ページに渡って繰り広げられている。なのに大してエロくない。というより、心情描写の微妙なリアリティが肝の小説なので、満員電車の中での痴漢行為というエロゲーまがいのありえないシチュエーションの描写が浮いてしまうのだ。これはまずい点かもしれない。


(これは単に僕が老いているだけで、現役中高生男子にはまた違う意見もあるかもしれない)


ともあれ、13階の住人は、多かれ少なかれみな「生きにくさ」を抱えている。その際たるものが、「心を奪われる題材に出合ったら全てを忘れる。描くものが無い場合、指を噛み切ってでもその場でスケッチを描く。自分のせいで体を壊した母親の見舞に来た病院でも同じ」という生き方で家庭を崩壊させてしまった綾であり、「実の姉と関係を持ち、13階他でもエロライフを送りつつ、本当の彼女とは手を握るのが関の山」という、恋愛の距離感がつかめない主人公なのだが。彼らは13階で何をするのかというと、時々語り合い、慰めあったりもするが、基本的にはただ生活し、淡々とコミュニケーションしている。今は生活することそれ自体で、違和や傷と折り合いをつけている感じだ。セックスもその一部なのだ。ただし、潔癖なところもある主人公は、初体験以降は、綾の誘惑から逃げ続けており、その抵抗がいつまで続くかも見所だ。


このように書くと、辛気臭い小説と思われる向きもあるかもしれない。この小説の美点は、こうしたテーマを描きながら、ほとんど辛気臭くないという点にある。その理由が、キャラクターの掛け合いの軽快さだ。

ライトノベルというジャンルが、その魅力の多くをキャラクターに負っているのは確かで、このシリーズも例外ではない。ただその魅力のあり方も、少々独特だ。13階の住人達では、綾さんと、日菜演じるミュージシャン「シーナ」が双璧か。シーナ自信の口癖『・・・だぜ、本当』に対する綾さんの論評「『嘘だぜ、本当』とか、何が言いたいのかよく分からないし」はウケた。シーナと日菜のギャップもいい。極端な二重人格でありながら性質や記憶は共有で、内気な日菜が耳年増&単純に女好きなところが巻を追うごとに露になるのが面白い。この短編集でも姉以外の女の子の胸に興奮してしまい、心で何度も姉に詫びているのが笑える。

サブキャラたちにも一癖あるのが多い。特に気になるのが、刻也の彼女で、完璧超人と背が低くて胸だけ大きい自分との釣り合いを気にする「鈴璃」・・・ではなく、その弟君。先輩との軋轢が原因らしいが中学のバスケ部を辞めて以来、毎日一人で延々シュートの練習をしている。普通なら、皆に相手にされないから仕方なく一人で、いつか別のチームに入るときのために、とかいう話だ。しかし彼は、単にシュートするのが好きなのだ、と言う。同じリズムで取っては投げ、飽きることも無い。何故なら、「全部同じシュートにしたい、でも同じにならない」から。打ち続ける。この行為自体を真似ようとは思わないが、この「単純な完璧を反復し続けたい」という気持ちはよく分かる。これ自体、挫折の奇形的表出なのかもしれないが。彼はこのままシュートを打ち続けるのだろうか、やめる時がこの小説で描かれるとしたらどういう形になるのだろう。


こうした多少特異な設定のキャラたちの関係を一歩引いて描く独特の距離感も、このシリーズの非エロティックな印象に一役買っている。距離感といえばこれまた少々変わっているのだが、本編の各巻の導入部は常に、13階の住人やその関係者が大人になった、数年後の未来の情景から始まる。そこではそれぞれが、それなりに幸せそうな暮らしを営んでいる。ただし、13階の住人同士は、13階から出てから一度も会っておらず、これからも会うことは「無さそう」という。会いたいという強い気持ちにならず、偶然会いそうな機会があっても、何故か会えない。「僕らはあの頃、もう一生分会ってしまったんじゃないかな」というのが、主人公の言葉。


「生きにくさ」を和らげることが出来た者たちが、バラバラの場所から眺める、過ぎ去ってしまった一期一会の場所。もう7巻分も丹念に描いているのに、また先は見えない。教訓や結論の類も、ほとんど無い。やはり、ライトノベル的な、登場人物たちのイベントをまったりと見守るという読み方が出来なければ、辛いだろう。今現在のライトノベルにしか出てこなかったであろう作品。ライトノベルを読まない人に勧めるのは難しいが、これを読めてしまう自分はラッキーだと思う。



しかしやっぱものすごいなこの表紙・・・。