池田氏のその後


生産性に関する自己ブログのコメント欄で語るに落ちていた後、引き続きなぜかチョムスキー批判を突っ込まれていた池田氏

Re:チョムスキー (池田信夫) 2007-02-17 15:04:48

言語を機械的アルゴリズムに帰着させようという生成文法のアプローチは、計算機科学として役に立たない(後略)


などと、ぷよぷよとアルルたんが泣くようなことを書いて叩き潰されていたあたりまでは読んでいたのだが、その後にさらに驚きの発言が。

Re:? (池田信夫) 2007-02-18 22:55:56

この意味で、私はチョムスキー理論の存在意義を認めないわけではないが、それは言語学界にとっては意味があっても、われわれのような素人にはどうでもいいことです。言語学が、たかだかあの程度の理論しかもてない「擬似科学」だということです。これは経済学も同じこと。


おお、言語学も経済学も疑似科学だそうだよ!


つい数日前に、「普通の経済学では」とか言ってた人とは思えない。まあ数ヶ月前には経済学を"dismal science"とくさしているわけだが。ちなみに政治学社会学はそのさらに下だそうで。経済学の専門家が自身の限界を嘆いているんならまだ分かるが、こりゃ外から好き勝手放題言ってるだけだろ。これでよく経済学の代弁者みたいな態度が取れたものだ。


そして締めがさらに神。

誤解のないように (池田信夫) 2007-02-18 22:55:56

付言しておくと、私は言語学が意味ないといってるわけじゃありませんよ。現状の言語学に、それに期待されている中身がないというだけです。これも経済学と同じで、バカにされてもしょうがない面はあります。

http://rblog-ent.japan.cnet.com/tamon/2007/02/post_91a9.html

両方に共通するのは、非自然科学の中で比較的「法則性」が強く、数学的な分析に乗りやすいと思われていることです。事実、一定レベルの数学的定式化は可能です。しかし、それは見かけ上のことで、実際には分析の単位となっている人間の行動は自然科学の対象より10桁ぐらい複雑性が高いので、その数学的記述は近似的なものでしかありえないのです。

新古典派チョムスキー派も、そういう複雑性を捨象して、アルゴリズム的に記述できる部分だけを取り出して、一見エレガントな理論をつくりました。しかし実際に使ってみると、こういう「美学的」につくられた理論は、例外処理が膨大になって役に立たない。やはり複雑性そのものにちゃんと取り組まないとだめなのです。


仮にも研究機関の人間でありながら、他の研究分野に『パズル生産機械』他の罵倒を加えておいて、自分は素人だからと居直った挙句のこの逃げ。こんなひどい文章で援用される方もいい迷惑だろうな、とつい同情したが、見てみると同じくらいひどく、しかもとっくに燃えていた。で、「人間の行動は自然科学の対象より10桁くらい複雑性が高い」でバックドラフト。10桁。どういう根拠のオーダーなのだ。たいていの経済学だって社会学だって文芸批評だってこの台詞よりは科学的です。そして「複雑性」へ。さようなら。


しかし、この一連の発言は、人文・社会科学に対する外野からの侮蔑的スタンスがあまりに明瞭である点で、生産性の話よりたちが悪い。ここまで馬脚を現してしまって大丈夫なんだろうか。