亀田和毅のチャンプ侮辱発言&友達いない発言に思う


ここに亀田家関係の問題が凝縮されているように思える。
和毅が暴言を働くのは、周囲の人間がそれを望んでいるからだ。友達がいない彼の周りにいるのは、亀田ボクシングに関係する人間だけだろう。だから和毅は悪くないと言いたいのではないが、彼は彼の属する社会の期待に答えて行動しているのだとは思う。大人であれば友達がいなくとも、会社なり共同幻想なり、いろいろな社会に所属することができるが、彼には亀田ボクシングの社会しかない。遠くから彼を批判したところで改心させることは難しいだろう。おそらく、通常のボクシング界と接点があれば、彼にこうした発言を許さない人物が存在し、ルールがあるはずだ。悲しいかな、個人はそんなに正しくない。誰だってその場の力で考えなしに他人の悪口を言うことがよくある。


さらに虚しいのが、これが単に和毅個人の礼儀の問題にとどまらず、亀田興毅のボクシングの改善されなさについても同じことではないかと思われること。進歩しないどころかグラスジョーの自覚からか生命線のキレを失ってダーティーファイトに走る興毅と、昨日のあの試合内容を賞賛する父親。協栄ジムは技術指導に参加しているのだろうか。やはり試合のマネジメントだけしかしていないのだろうか。他のジムや選手から技術が流れ込むこともなく、技術交換の場でもありうるはずのスパーはガチンコ勝負の名の下に亀田スタイルの再確認のみのための場となる。そしてずっと、あのファイトスタイルが一流ボクシングの名の下に放映され続ける。やるせない。
他のボクサーやジムには自分たちの精進が第一だろうが、協栄ジムにはもう一歩踏み込むことを期待したい。どうしても自分の願望が混ざるが、金銭面から考えても、このまま低レベルの試合やゴシップを垂れ流して人気の急落を手をこまねいてみているよりは、負けを覚悟して強豪とのガチンコ勝負に出たほうがマシ、という時期に来ていないか。天才路線から成長物語(追記:成長物語が挫折物語になる危険も含めて)への仕切りなおしだ。視聴者も馬鹿ではない。昨日の試合でも多くの視聴者が双方のレベルの低さを見て取り、視聴率もガタ落ち、方針転換の時期に来ている。どうか一度フライ級トップクラスとのガチンコの勝負を志向して、興毅に本物のボクシングを教え、彼にできる最高のパフォーマンスをテレビで見せてほしい。せめて彼に、今の停滞スタイルでもランダエタ2での苦し紛れアウトボクシングでもない、別の選択肢があることを納得させることはできないのか。そんなことは百も承知で、グラスジョーのリスク回避を最優先した合理的スタイルであるとしても、それを捨てなければジリ貧なのだ。