ザ・ハイロウズ『アウトドア派』


本日PCに取り込んだので。買ったのは、たしか熊本に住んでいたころだから、8年ほど前、1999年ごろ。


「雨が降りそうな日に 僕らは海へやってきた まったくのアホウみたいに」
「どうして部屋にいなかったんだ 聴きたいレコードがたくさんあるんだ」


偶然耳にして、忘れがたいその物悲しいメロディーと、曇天の海の前で立ち尽くす歌詞に、レンタル屋に駆け込んだのが懐かしい。ヒロトマーシーの声なんから、ブルーハーツハイロウズなのは分かるんだけど、どのアルバム見ても入ってなくて焦った。

当時加入したばかりのインターネットの掲示板を初めて頼った。曲の情報を書き込むと、知ってる人が答えてくれる掲示板だった。記憶に刻まれた歌詞の断片と、ヒロトマーシーの声だ、と書き込み、大して期待せずに翌日覗くと、答えが返ってきていた。タイトルは『アウトドア派』、シングル『真夜中レーザーガン』のカップリングでアルバム未収録だと。「たしかにこれはいい曲ですよね」というコメントつきで。

まずは素直にうれしかった。曲の正体が分かったこと、教えてくれた相手もこの曲が好きなこと。喜び勇んでお礼のレスをつけたものだ。また、欲する情報を素早く、安価に手にできるネットの凄さに驚嘆もした。少なくとも僕の周りには、ハイロウズのマイナーなシングルのB面なぞ知っているものはいなかったのだから。
同時に怒りも覚えた。何だあの歌詞でアウトドア派って逆じゃないか分かるかよとか、こんな心震える曲が何でB面のアルバム未収録なんだと、よく分からない怒りに震えもした。注文して手に入れた。


マーシー作詞作曲の、岩石のようないかついフォークソング。こんな歌詞の曲に『アウトドア派』というぶっきらぼうで一見真逆なタイトルをつけるところが、彼らしい。ソロアルバム『夏のぬけがら』といい、こういう曲を作らせたらマーシーは凄い。海へきてしまった徒労感にあふれるAメロをヒロトが、海へきてしまった苛立ちを激しく吐き出すサビをマーシーが分担して歌っている、彼らとしては珍しい構成。哀愁にあふれたメロディーと言葉との相乗効果で、曇り空と海を前にただ立ち尽くす二人の様子がはっきりと目に浮かんでくる。マーシーのがなり声は、哀愁のあるメロディーに乗ると格別だ。ヒロトの声がとても優しいのもよく分かる。

曲の主人公二人が、なぜ海にやってきたのかは語られていない。きっかけはどうでもいいことだということだろうか。一人で部屋にいればよかった、なんで来てしまったんだという絶叫。コミカルに読めば、恋人の女性に引っ張ってこられた出不精の男性が、着いてみたら曇り空なので愚痴っているだけのクソのような歌詞ですと言えなくもないし、それはそれで愉快なのだが、この曲から発散される根拠不明の真摯さが、そういう受け取り方を不可能にさせる。曇天の前で立ち尽くす恋人たち。部屋にいればよかったけど、どうしてもこなきゃいけなかった。理由もきっかけも必要としない、本当にそれだけの歌なのだ。


どこがアウトドア派なんだという歌詞と曲だが、中盤にこの一節が。


「雨が降りそうな日に それはきっといいことなんだ」


私も筋金入りのインドア派だが、時々たまらず海を見たくなる。泳いだり遊んだりするための海ではなく、目前でただ眺めたり、あるいは戦慄する対象としての海を欲する。そういう感覚を、この曲は美しく救い上げていると思う。


「雨が降りそうな日に 僕らは手をつないだまま」


こういう経験はない。それはやはり悲しいことだろう。


シングルはこちら。

真夜中レーザーガン / アウトドア派

真夜中レーザーガン / アウトドア派


こちらは、レアトラックコレクションの2枚組CD。2枚目の7曲目に収録。


flip flop

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