John Frusciante『Shadows Collide With People』


苺ましまろ』に出てくるアナちゃんの愛犬の名前がフルシアンテ。なんつうマニアックな。


 それはともかく、レッチリのギタリストとして有名らしいこの人のソロアルバムの内の一枚。レッチリはあまり聞いたことないし、他のソロも聞いたことない(このアルバムと同じ年に5枚くらい出しまくったらしい)が、このアルバムはすごい。ここ数年聴いたアルバムの中ではダントツのベストだし、もしかしたら今まで聴いたすべてのアルバムの中でもベストかも。ここ1年ほどよく聴いているが、飽きない。


はねるリズムを持つ曲を含みつつ、基本的なフォーマットは落ち着いたギターロックだ。落ち着いている故に、この曲は超名曲、というアピールのある曲はない。ただそれは、名曲未満の佳作群の集まりで平均点が異様に高い、というのとは違って、このアルバムに入っているのがシングル曲が持つような特定の方向への強いベクトルがない曲ばかりというだけのことのようだ。その意味で、俗世間とは隔絶した空気を感じさせる、ある種の彼岸的感覚がある。たとえばNick Drakeの作品群のような手の届かない遠い感じ。ただ、このアルバムを彼岸感以上に特徴付けているのは、上手く言い表せないが、「ニュートラル」だ。売れる/売れない、気持ちいいかそうでないか、といった社会的な価値判断との距離感の問題、所謂「上手いこと作っている」という意味でのニュートラル、平衡感覚ではなく、もっと根源的な「ブレてない感じ」。「芯」のようなものがある。そこにはどっしりしたサウンドプロダクションという表層的な特徴も強く影響しているがそれ以上に、ギターロックというフォーマットに、作り手が自らに課した制限の意図が強く感じさせること、それでいて曲調といいギターの音色といいバラエティに富んでいること、という根本的な性質から来ている。隔絶していて、それでいて目の前にもある感じ。

 
また隔絶感の先達ということでNick Drakeを引き合いに出して恐縮だが、彼は売れるために2ndでポップなアレンジを導入し、その反動で3rdではギターとピアノだけの弾き語りに隠遁した。隔絶した人間が他の人間に何かを表現するのは難しいはずだが、それが実現したときはとても美しいものが現れる。おまけにそのやり方も一つではなく、隔絶しながらポップにもなれるし、隔絶の持つ手の届かない美しさを表現することもできたりする。Nick Drakeはそのどちらでも実例を残した稀有な人間だが、一つの作品、一つのアルバムでそれができなかったのが彼の不幸だと思う。そして、Drakeの二極の間というか、どっちもありのニュートラルな幸福がこのアルバムにはあるように思える。


捨て曲がない。しわがれた声もいい。本当に飽きがこないのだ。


Shadows Collide With People

Shadows Collide With People