パチスロとの決別のために2

人生の最も貴重な20代という時間をただ無為にパチンコ店の中過ごしてきた人間は、もはや社会への切符は入手できないと考えるべきである。 そして、社会へ参加できないまま中高年に突入した場合はどうなるのであろうか。

いわゆる「3K」と呼ばれる仕事も、最近ではなかなか就くことができない。新宿や上野のホームレスは、確かに自発的ホームレスも多いのだが中には非自発的ホームレスが急増しているという事実をパチプロは認識した方がよい。 彼らは、「職を求めていながら」しかも「どんな汚れ仕事でもやる気はあるのに」それすら手に出来ずにあそこにいるのだ。

職歴や専門技能をつけるのに、最も重要な期間は20代である。 この期間、一般的に日本企業では確かに賃金はそう高くないのだが、これは企業の教育投資の控除と考えれば納得がいく。 多くの人は、若く、体力的にも無理が効くこの期間に仕事を覚え、後の人生のためのキャリアの土台とするのである。

前述のように、「喰えなくなったら即自殺」するのであれば何も問題はない。問題は、「喰えない」のに「職がない」「しかし生きたい」というトリレンマに陥ったときに彼らがどのような行動に出るか、ということである。歴史を紐解いてみると、過去の大きな侵略戦争のほとんどは内政の破綻による経済戦争である。 これを個人にあてはめてみると、他者への侵略、つまり「犯罪」を誘発する。...


少し調べてみただけでいろいろなページが見つかる。ブックマークのTagで「ギャンブル依存症」が一番大きくなりそうな勢いで、それはちょっと嫌だ。
上に引用したのは、依存症患者当人から傍観者まで、様々な人々のパチンコ・パチスロへの呪いの文句をネット上で収集し紹介しているページの中の一文。自己形成に用いるべき時間をギャンブルに費やした場合に待ち受けるだろう困窮、そこから生活破綻や犯罪へのジャンプアップが、侵略戦争のアナロジーを用いて端的に記されている。下にトップページへのリンクを張っておく。


「パチンコは麻薬 パチンコはあなたの人生を奪います」
http://www.geocities.jp/pachimaya/


同じサイトの中に、極めて特殊な切り口だが、以下のようなものもあった。

せっかく台を確保したのに山田が僕のほうに来て、「外のドトール で待ってるから」と言うんです。正直、いつもだったら、すぐにどうした のか聞くんですけれども、そのときの山田の様子で、なぜかその場では 理由を聞いてはいけない感じ、なにかゾワゾワとしたおかしな空気があったんです。

僕は買ってしまったパッキー分だけ消化し(当るはずも なく)すぐに山田が待っているドトールに飛び込みました。 山田はすごく言いづらそうに、実は自分には霊感があること、そして 店内で見えてしまったものについて語ってくれました。

ここで注意したいのは、山田の人柄についてです。山田は普段から 冗談を言ったり、人をかついだりすることはありませんでした。 どちらかというと天然ボケにちかいタイプです。実直だという意味で は周りから信頼される人間であり、また僕を含め山田も理系の人間 なので超常的なものについては話題にしたこともなければ、どちらかといえば否定的な立場にいると思っていたのです。

山田が見たものは、まず空いている席に座っている婦人らしき残像、そこに現実の若い女性が座り、残像と重なっていったこと、 また、だらしない、悪意をもった男が台の下にしゃがみ込み、打って いる人を突き上げるような目で下からのぞきこんでいたこと、 etc…それよりも店内を覆うような「負のエネルギー」ともいうべきものが気持ち悪かったのだ、と言いました。

真意は、僕は霊が見えないのでわかりません。また、本当にそんなものがあるのか、懐疑的でもあります。しかし、心証的には、山田が決して嘘をついていないだろう、とは信じられるのです。


ようは、パチ屋での霊体験報告を通じて、その不健康で異様な雰囲気を指弾するものだ。
もういっちょ。

俺は霊感ある友達とパチやったことあるぞ。

んで、その友達「ギャッ」と声はあげずに顔で「ギャ」となって、すぐに外に出てしまった。

すんげーでっかい顔の男が天井に張り付いてて打ってる奴等を見下ろしてたんだとさ。

友達曰く「いろんな霊の集合体が‘顔”になってる」そうだ。


梅図っているがそれはともかく、僕は一度不気味な気配を感じるとロマンティックが止まらなくなる古今無双の弱虫である。これらの文を読んでも、理屈抜きにゾクッと来て、カーテンの隙間なぞに目を向けてみたりしている。が、霊感体質ではないし、霊の実在には懐疑的だ。


ただし、霊感体質を自称する人々が嘘つきだと短絡的に言い切るのも危険だと考えている(無論、確信犯的な嘘つきもいるだろうが)。


僕と同年代(30代前半)ならかなりの方が知っているだろう霊能力者の宜保愛子(故人)。彼女は幼少時に左目に大怪我を負っており、その後、左目だけにこの世ならぬ存在の姿が見えるようになったのだという。ただし、彼女に見える守護霊は、せいぜい三代前の先祖までに限られたという。ようは、相談者自身がよく知っているか、生き生きとした人物像を話で聴けたような先祖に限られる。


おそらく、その情報は相談者の口から、あるいは周りから、宜保愛子に伝えられただろう。彼女の左目にはその情報を独自に再構成した映像が映っていたのではないだろうか。彼女の左目について、左目はイメージを司る右脳と関係が深く、その左目の外界認識機能が傷ついたことで、かえって彼女の内部のイメージが視界に投影される結果となったのではないか、と推論した方がいるらしいが、案外正鵠をいているのではないだろうか。民俗学者柳田國男が、一つ目小僧についての話をまとめているらしいが、それによると人の心を読む一つ目の伝承や、像が祭られている事例が多くあり、その像は大体左目が潰れているという。


相談者の情報を事前に収集しておいて、あたかも超自然的テクニックでその情報を得たかのように振舞うのは、霊感商法の常套手段ではある。しかし宜保愛子が文化人や週刊誌などから激しい攻撃を喰らう半面、アンチオカルトとして有名な大槻教授が、宜保愛子霊感商法新興宗教にありがちな過度の商売っ気や教祖願望の類を持たなかったことを賞賛していたという逸話を聞くと、彼女は本当に、自分の左目に見えたものを素朴に伝えていただけかもしれない、と思わされるのだ。彼女の言う霊が、実際に存在したかは別の話だし、テレビの出演料や本の原稿料で十分儲かっていただけかもしれないが。


話はそれたが、ギャンブルの鉄火場は、「重苦しい沈滞の中に、力の弱い間欠泉のように仄暗い高揚が垣間見える」というべき、他にない一種異様な雰囲気がある。近年小奇麗になってきたが、それでもアメリカのカジノのような華やかなイメージからは程遠い。左目が潰れていなくても、映像構成力の豊かな人間に訴えかけ、不気味なものを見せてもまったく不思議ではない、ということだ。


この文を読んで、スロ屋の空気と、そこにいる人間の表情をもう一度確認しようと思った。行きつけの洋服店のサービスチケットがあり、クールビズ対応の半袖購入に充てようと思うも、隣にかつてのホームがあったので避けていたのだった。打つ気は欠片もなかったが、念のために財布をスクーターのシート下に残して、店に入った。上に「重苦しい沈滞の中に、力の弱い間欠泉のように仄暗い高揚が垣間見える」と書いたそのままの、離れてみると分かる、まさに異様な雰囲気がそこにあった。去年あたりに小奇麗に改装されたのだが、それでもどこか暗い店内。特にスロットコーナーは薄暗く、相変わらず客つきはそこそこいいものの、打つ客、特に大人は誰も彼もが不景気そうな面構えだ。感受性の強い人間が見たら、無気力な顔を並べて金をサンドに突っ込んでいる風景に魔界を観るだろうし、幽霊や化物の一人や二人には注視されようし、謎の呪文の一つや二つは聞こえようというものだ。はしゃいでいるのは若者の一部だけというのも、変わっていなかった。俺はここに来るべきではない、と再確認した。


常連の若者の一人から、久しぶりですねと声をかけられた。彼が以前別のパチ屋でバイトしていたときに顔見知りになった、とても気のいい青年だ。台を譲ってもらったこともある。建替え休業していたパチ屋が開店するという情報を早速教えてくれ、今日はもう帰るんですかと聞くので、もう止めた、隣の服屋に来たついでに覗いただけだよ、と答えると、そうっすか、と微妙な表情をした。「やっぱりな、しょうがないっすね」という表情だった。


僕が脱スロを決意した日の最後の30分に横に来て、その台はヤバいですと忠告までしてくれただけに、表情の意味がよく分かってしまい、僕も苦笑するしかなかった。


もうスロ屋には入らない。