新年と坂田敗戦に付いて


新年ですな。心機一転。


それにしても坂田の敗戦は残念でした。もしあの1発を逃れていても・・・というデンカオセーンの充実と、坂田研究が伺える左のガードのルーズさを付く右強打の鋭さではありましたが、1R、デンカオセーンの攻勢にさらされながら、ラウンド終わり際には抵抗の有効打を見せていた坂田選手。あのあたりに、世界レベルの相手との激闘を重ねて来た経験を観ることが出来ました。今回の敗戦は、打ち終わりの左ガードが空く弱点を放置していたという一点につきるのでは、という印象です。それも、試合前から今回の武器と名言していた左アッパーを外された死角からだったこと、打たれたのが鍛えようがないらしい耳の下〜首の付け根だったことがどこまでも皮肉ですね。クリスチャン・ミハレスダッキングの癖と上体頼りのディフェンスを研究されてダルチニャンに完敗した試合が頭をよぎりました。キャリアのうちにはそういう試合もあるでしょう。


その点で気になるのは、敗因を「歴戦の坂田のダメージ蓄積が限界に達した」ところに求める意見が多いことでしょうか。試合直後の鬼塚氏もそう述懐していましたし、坂田のファイトスタイルが激闘型であること、敗因が今までも突かれていたガードの隙であることはたしかなだけに、あり得ない話ではないでしょうが、今回の負け方(急所への打撃で平衡感覚を奪われてのワンパンチKO)でそれは少々早計な気がします。
正直なところ鬼塚氏の述懐については、語るべきこと(ライトファンにボクシング世界戦の見所を伝えるための技術解説)を語らずに、語らずともよいこと(感傷的な予断に基づく選手生命の終了予想)は語るのはどうか、と首を捻る次第。疲労の蓄積を慮り労うのはともかく、「もう十分」は解説者としては余計ではないか、と。鬼塚氏も網膜剥離で引退したボクサー、後輩の体を心配する故の発言なのでしょうし、我ながら坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、みたいな感じになってしまっていることは否めませんが。